紀元前十世紀後半ごろ、北部九州沿岸部に稲作が伝わり、日本列島は弥生時代に突入した。ただ、かつて信じられていたように「あっという間に列島人全体が農業を選択した」わけではないし、渡来人が日本列島を席巻したわけでもなかった。
北部九州の縄文人が稲作文化を受け入れてから、数百年の年数をかけて、稲作は関東まで伝わった。その間、各地で、新しい文化を受け入れつつも、縄文的な技術や文化の揺り戻しが起きていたのだ。
縄文時代後期の寒冷化によって、東に偏って暮らしていた縄文人たちは、西側に移動を開始していて、これが稲作文化の普及の遅れにつながり、日本列島全体からなかなか縄文的な文化と風習が消えなかったひとつの原因になったようなのだ。